小千谷縮の概要

●小千谷縮の歴史

 

小千谷における麻織物の歴史は古く。千数百年にも及ぶといわれます。

※原料の良質な苧麻が豊富に採れ、冬は室内作業しか出来ない

雪国の生活環境が発達した理由です。

 

寛文年間(西暦1,661年頃)に播州明石の浪人堀次郎将俊が小千谷に来住し、それまで織られていた白麻布に改良を加え、緯糸に強い撚りをかけて織り上げ、仕上げの工程で、涼感を出す小千谷縮独特のシボを作り出す事に成功して、小千谷縮が艇生しました。※御用縮として有名になった。

また、縞(しま)や絣(かすり)の模様を織り出す事も考案。されました。

 

○明石堂       

市民会館の裏、極楽寺の境内にある、堀次郎将俊を奉るお堂。

堀次郎将俊は。明石から来たので、この名前がついた。

毎年9月12日にお祭りを行います。

 

 

 

●小千谷の織物

 

着物の種類(織物と染物の違い)

織物=糸を染め(絣を付け)てから、織る。

   先染、絣織物、自い糸のまま織る白生地。

染物=白生地を染める。模様を手で描いたり、型紙を使って染める。

 

 

 

●小千谷で作られているもの(縮と紬の違い)

 

①小千谷縮(ちぢみ)=麻織物。苧麻、ラミー糸で作る。夏の着物。

②小千谷紬(つむぎ)=絹織物。蚕が作る繭から糸をとる。真夏以外に着る。

③片貝木綿(もめん)=綿織物。木綿を藍染めする。

※小千谷に機屋さんは24軒ある。

 

 

 

●日本の一流品

 

昭和30年に国の重要無形文化財に指定される。(日本で最初)

※技術保存のための「後継者養成講習会」を行っている。

毎年冬に機織りが100日間、苧績みが20日間。「織の座」等にて。

 

昭和50年に小千谷紬とともに伝統的工芸品に指定される。

新潟県で18品目、全国で214晶目が指定されています。

伝統工芸士:小千谷縮9名、小千谷紬16名 合計25名

 

小千谷縮の大要

越後布の起源は明確にはなっていませんが、文献によると延長五年(西暦927年)の延喜式に越後布が貢納になっておりますから、その以前にも相当の数が作られていたものと思われます。

 

建久3年(1,192年)源頼朝が鎌倉への勅使に贈り.その後文明18年(1,486年)には越後国守護上杉房定が将軍足利義尚こ贈り、上杉謙信の時代(1,500年代)には原料苧麻(ちょま)の栽培や布を織る事が奨励されていました。など、歴史上に越後布が度々登場します。

 

寛文年間(1,661年頃)に播州明石の浪人、堀次郎将俊が小千谷に来住し当地で製織される白布に改良を加え、小千谷独特のシボ(小ジワ)を作り出しヌ、縞(しま)や絣(かすり)を織り出す事も考案され小千谷縮ができあがったとされています。

 

これらの縮は新潟県内の北魚沼、中魚沼、南魚沼、東頚城、古志、三島、刈羽郡内の山間部で.冬の農閑期に織られておりました。

 

機織りと糸作りの苧績み(おうみ)が冬揚の女性の唯一の仕事であったことから、その上手、下手が、いい嫁、悪い嫁の基準になり、若い娘子にとっては、重要な仕事となっていました。また、家族の中においても、嫁と姑の間に競争が起こりいろいろな悲喜劇が起こった例も沢山あります。

 

昭和3年。昭和天皇即位の大典には堀次郎将俊の功績に正五位を賜りました。さらに昭和30年5月12日には小千谷縮布が国の重要無形文化財に指定され。300余年後の今日に至るまで、その遺徳は細布の里小千谷の誇りであります。

 

昭和50年9月4日、法律第57号に基づき小千谷縮と小千谷紬の二品種が伝統的工芸品に指定となり告示され、平成2年7月20日こは寿小千谷縮並びに絣付け技術が小千谷市指定文化財に認定となりました。